一度には語り尽くせない主人の思い出
五輪マークを見ると、東京オリンピックまではがんばって生きるぞと言っていた主人のことを思い出さずにはいられません。
主人は2015年から1年半もの長きに渡った私の検査に付き合ってくれ、手術後、週に一度(3時間15分)の抗がん剤投与にも付き添ってくれました。
そんな中、私の抗がん剤治療が2か月半を過ぎたある朝、仕事中の主人が突然にお腹の痛みを覚え、軽い気持ちで病院で検査したところ、その日のうちに担当の若い医師のいきなりの心無い言葉「余命3か月のすい臓がん末期です。今のうちに会いたい人に会っておいてください!」
その日からの主人の精神状態を思えば、本当に本当に可哀想でした。
彼は若い頃から「僕はピチピチボーイ」が口癖で、いくつになっても少年のように純粋な心根の人でした。
年をとり、見かけは白髪もシワも相応に出ましたが、1日1万歩を歩き、背筋や腰はピンとして歩きもスイスイな感じに努力していました。
それが…突然の「死」を意識したその日から、彼は奈落のどん底に落ちた人になりました。
彼は家族の前では、自分なりに気持ちを落ち着けるべく、努力をしている姿を見せてはいましたが、その日から、眠れない、食欲がない。
隠そうにも隠せない姿。
私は自分がしっかりしなきゃ! と思えば思うほどに、彼に涙は見せてはならない! と思えば思うほどに、泣けて泣けて困りました。
私は自分のがんを告知された時も、手術の前も泣くことはなかったのに、私が泣き出したのはこの時からです。
この先も涙なしには語れない。
今日はここまでで、勘弁。
(亀)
↓よろしかったらポチッとお願いします